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東関屋さん
『新潟交通20年史』という社史に戦中の頃のモハ1の写真が出ていますので、ぜひ図書館でご覧になってください。お近くに本がなければ女池の県立図書館にあります。まさに東関屋さんのお作りになった模型と同じイメージです。
川崎市電の101・102は2代あるようですね。開業して半年で川崎大空襲によってほとんどの車両を失ったために東京市電などから融通してもらったようです。
川崎では路面電車用の標準軌(新幹線と同じ1435mm。デンテツは国鉄と同じ狭軌の1067mm)に載るために台車を履き替えたそうです。もとのブリル台車は仲介した日本鉄道自動車工業(現・東洋工機)を経てどこかの狭軌車両の足に使われたのかもしれません。
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