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体験記2

 投稿者:川内の民@田井  投稿日:2011年 3月20日(日)16時40分8秒
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  地震翌日状況が大きく変わりました。原発から10キロ圏ひ避難勧告が出たことによって、原発から10キロ圏の富岡町にあった施設から利用者、職員約150名が避難してきました。

しかし、断水してる中自分の勤務していた施設の利用者も含め200名がいるため、非常食、飲料水が一日も持たない状態でした。

自分はこの時はまだ使えた電話で実家に連絡し、父が団長をしている川内村消防団5分団の水を分けてもらうのと、いまの施設の状態を対策本部に伝えてほしいと頼みました。

ほかの川内村出身の職員が米を持ってきてなんとか、米と水の手配はつきましたが今度はトイレの問題が出てきたした。

前日の入浴支援のときのお風呂の水をありったけのバケツでためておきましたが、すぐなくなり、施設近くの小川で水を汲んできて再度バケツにためる作業を行いました。

夜勤明けのため一時帰宅を許可され帰ろうとしたところ避難指示が出た富岡町から川内村へ避難している人たちの車で、小野富岡線渋滞のため山道を行くように言われました。しかし、前駆の自分の車では雪のある道で立ち往生し車を乗り捨てることになりました。ちなみに、川内村の人口が3千くらいに対して富岡町からの避難してきた人が5千人もいました。

幸いなことに歩いて職場まで戻った後、実家方面へ帰る職員の車で帰ることができました。無事という連絡は受けていましたが自分の目で見るまでは安心できず、このときやっと安心することができました。

帰宅してすぐのこと、1号機の爆発で避難指示圏が20キロに拡大したニュースを見ました。自分の職場は20キロ圏の内側だったため、職場に電話しましたが、このころから電話が不通となり、連絡が取れず、自分の車がないため駆け付けることもできず自宅で待機していました。父が帰ってきて利用者は川内村小学校へ避難することが決まったと教えてくれました。

役場裏で安定ヨウ素剤をもらった後、小学校へ向かい、一般の方に交じって利用者と川内村小学校で一晩を過ごしました。

いずみたけよしさんへ
利用者はいま、原発から35キロほどの田村の事業所に避難しています。自分は施設長から若いからこの先どうなるかわからないから避難してもいいといわれ、家族とともに避難しました。自分自身後ろに下がって向こうであったことをつぶやくことしかできていないですが、何かありましたらよろしくお願いします。
 
 
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