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先のタイトルの訂正

 投稿者:楠原  投稿日:2011年 4月29日(金)22時51分50秒
返信・引用
   ごめんなさい。森木会OBの山口さん・田井さん・泉さんを囲む会は5月4日(水)2時からです。場所は大学。訂正です。  
 

5・2山口・田井・泉を囲んで

 投稿者:楠原  投稿日:2011年 4月29日(金)22時12分14秒
返信・引用
  連休中ですが5月4日(水)2時、岩手の山口君と職場ともども鴨川に避難している田井君が東京で会うということですので、この機会に気仙沼から戻ったばかりの泉君にも声をかけて、みんなが集まれる大学であいましょう、ということになりました。森木会のみなさんも一緒にお会いしませんか。大学は休みですので若木タワーの正面玄関が開いていないかもしれません。で、プランターの前でお会いしましょう。その横の守衛室から入って14階の文学部資料室で話し合いをしたいと思います。守衛さんには言ってありますので、多数おいでください。  

(無題)

 投稿者:いずみたけよしメール  投稿日:2011年 4月24日(日)23時56分16秒
返信・引用
  先週の火曜日から今日まで六日間ほど、職場の被災地派遣で宮城県気仙沼市周辺の障害者施設に行ってまいりました。地元の職員とともにひたすら瓦礫を運び出す日々でした。東京のフツウの生活がまだ身体になじみません。変な感じです。
これからは東京から被災地を支援できる動きを起こせればと思います。是非多くの人に被災地に行ってほしい。まだ考えがよくまとまっていませんが、具体的になったらまた報告します。その時はどうぞよろしく。
 

楠原レポート

 投稿者:磯野RT  投稿日:2011年 4月19日(火)22時33分48秒
返信・引用
  楠原先生の三陸の被災地での報告をホームページにアップしました。
興味のある方は森木会トップページからご覧下さい。
森木会ホームページ↓

http://sinbokukai.syarasoujyu.com/
 

(無題)

 投稿者:川内の民@田井  投稿日:2011年 4月19日(火)09時55分4秒
返信・引用
  施設ごと千葉県の鴨川市へ避難してきました。現在はホテル暮らしで、近いうちにアパートに移る予定でいます。  

おしらせ

 投稿者:山口@しわ  投稿日:2011年 4月16日(土)12時50分11秒
返信・引用
  東京銀座の岩手銀河プラザにて紫波の特産品イベントなどやってるそうです。紫波のぶどうで作られたワインやコロッケもあるよ #shiwa / ガンバロウ岩手!紫波町特産フェア - いわて銀河プラザ(銀プラ) http://t.co/UGEdLQb
 

(無題)

 投稿者:いずみたけよしメール  投稿日:2011年 3月22日(火)22時54分57秒
返信・引用
  無事祖母と叔父も一緒にもどって来ました。実家のある団地が空き部屋を無料で開放しているので、大変助かりました。  

田井君・いずみ君

 投稿者:楠原  投稿日:2011年 3月21日(月)22時31分35秒
返信・引用
  田井君、生々しい報告ありがとう。これからもいろんなことがあるでしょうが、お体を大事にね!
 いずみくん、まだ石巻ですか。そちらでは様々な「噂」が飛び交っているようですが。気をつけて。
 

体験記2

 投稿者:川内の民@田井  投稿日:2011年 3月20日(日)16時40分8秒
返信・引用
  地震翌日状況が大きく変わりました。原発から10キロ圏ひ避難勧告が出たことによって、原発から10キロ圏の富岡町にあった施設から利用者、職員約150名が避難してきました。

しかし、断水してる中自分の勤務していた施設の利用者も含め200名がいるため、非常食、飲料水が一日も持たない状態でした。

自分はこの時はまだ使えた電話で実家に連絡し、父が団長をしている川内村消防団5分団の水を分けてもらうのと、いまの施設の状態を対策本部に伝えてほしいと頼みました。

ほかの川内村出身の職員が米を持ってきてなんとか、米と水の手配はつきましたが今度はトイレの問題が出てきたした。

前日の入浴支援のときのお風呂の水をありったけのバケツでためておきましたが、すぐなくなり、施設近くの小川で水を汲んできて再度バケツにためる作業を行いました。

夜勤明けのため一時帰宅を許可され帰ろうとしたところ避難指示が出た富岡町から川内村へ避難している人たちの車で、小野富岡線渋滞のため山道を行くように言われました。しかし、前駆の自分の車では雪のある道で立ち往生し車を乗り捨てることになりました。ちなみに、川内村の人口が3千くらいに対して富岡町からの避難してきた人が5千人もいました。

幸いなことに歩いて職場まで戻った後、実家方面へ帰る職員の車で帰ることができました。無事という連絡は受けていましたが自分の目で見るまでは安心できず、このときやっと安心することができました。

帰宅してすぐのこと、1号機の爆発で避難指示圏が20キロに拡大したニュースを見ました。自分の職場は20キロ圏の内側だったため、職場に電話しましたが、このころから電話が不通となり、連絡が取れず、自分の車がないため駆け付けることもできず自宅で待機していました。父が帰ってきて利用者は川内村小学校へ避難することが決まったと教えてくれました。

役場裏で安定ヨウ素剤をもらった後、小学校へ向かい、一般の方に交じって利用者と川内村小学校で一晩を過ごしました。

いずみたけよしさんへ
利用者はいま、原発から35キロほどの田村の事業所に避難しています。自分は施設長から若いからこの先どうなるかわからないから避難してもいいといわれ、家族とともに避難しました。自分自身後ろに下がって向こうであったことをつぶやくことしかできていないですが、何かありましたらよろしくお願いします。
 

石巻

 投稿者:いずみたけよしメール  投稿日:2011年 3月20日(日)15時14分49秒
返信・引用
  昨日の夜から高速を飛ばして今朝の未明に石巻に入りました。祖母の住んでいる地域は幸いに、津波の被害はありません。電気、水道は昨日になってようやく復旧したようです。しかしガソリンと食糧は不足が続いているようです。近くに避難場所が三つもあり、そこには沿岸部からの避難者でごった返しています。被害の少ない祖母の住んでいる地域の住民はほとんど、家にもどっているようです。
中学校の体育館に沿岸部の親戚を見つけました。家を流されたが家族は無事とのこと。しかしそれ以上は何もして上げることができない。道を歩いていても、食糧を分けてくれないかと問われる。食糧、燃料ともに自分たちの分しかない。無い袖はふれない。一部では盗難が横行していると注意放送が入る。

話しが変わりますが田井さん、私も町田の知的障害者入所更生施設で働いています。利用者の方も牛久に避難しているのですか?限られているとは思いますが、何か手伝えることがあれば言ってください。
 

ありがとう、田井くん

 投稿者:楠原  投稿日:2011年 3月20日(日)13時21分42秒
返信・引用
   田井君、忙しい中、さっそく状況メールをこっちにも送ってくださって、ありがとう。そうだったんですか。大変でしたね。今、あなたが直面している問題(困難)は、あなたと(そして日本社会に生きる僕たちの)明日のステップになる問題だと思いますから、じっくりと見つめ、考えながら、行動されんことを!エラそうなことを言ってごめん。また、思いたったら報告いただけると嬉しいです。泉君からの報告も待っています。  

体験記1

 投稿者:川内の民@田井  投稿日:2011年 3月20日(日)12時38分1秒
返信・引用 編集済
  地震当時は、職場(知的障害者更生施設)で利用者の入浴支援の最中でした。大きな揺れを感じて、窓を開け利用者を居室の押し入れに隠れるよう指示しましたが、重度の利用者が多くなかなか押し入れに隠れることができませんでした。

数分間の激しい揺れが収まってからも、激しい余震が続き施設周辺の被害状況を確認したところ、裏山が少し崩れているところが発見されたため、裏山から一番離れた食堂へ利用者全員を避難させました。

このときの川内村の震度は6弱

建物自体の被害は軽微でした。しかし、地震から一時間弱は少量水が出ましたが、それ以降断水。施設は水道ではなく井戸水をくみ上げていたため、くみ上げるポンプに異常が出たのではないかということでした。

施設の懐中電灯と無線(集めたけど電池がないため使用できず)を集め、利用者の私物のラジオで情報を集めました。

職場の電話を使い職員がそれぞれ家族の安否確認をしようとしましたが、なかなか電話が通じず地震から数時間たってからやっと母方の祖母に連絡がつき実家で瓦の一部とブロック塀が崩れただけで祖父母と母、兄の無事が確認できました。原発の父も夜に家に戻り、仙台の妹も翌日に無事が確認できました。

また、夜中になって駆け付けた施設長の情報だと国道6号、県道35号が地震と津波の被害で通行止め、津波で大熊町、浪江町、富岡町、小高町、双葉町は津波で大きな被害が出たと知らされました。
 

田井君へ

 投稿者:楠原  投稿日:2011年 3月19日(土)22時54分1秒
返信・引用
  田井君、牛久の避難先とのこと。元気で何よりです。ツイッターは僕にはよくわからないので、ここにも時々君が見たこと体験したことなど伝えてくれませんか。福島産の野菜や牛乳の放射能汚染が問題にされ始めていますが、農民たちの怒りはいかばかりか。体を大事にね。  

地震

 投稿者:しみずけい  投稿日:2011年 3月19日(土)20時49分54秒
返信・引用
  地震について、ぼくは特に被害はありません。。

被災者の方の無事を祈りますが、紫波は無事でしたか。
よかった、よかった。

それと、小田原に拝命になりましたので、
来年からは小田原におります。
 

泉くんの代理

 投稿者:ワタナベヒトシ  投稿日:2011年 3月19日(土)18時38分31秒
返信・引用
  みなさま、良いニュースをば。
泉くんの祖母さんですが、安否確認、無事とのこと。
高橋雄一くんの実家が近くとのことで、彼のご家族含め、大丈夫のようです。
以上、泉くんの代理としてご報告。
いやあ、よかった。少なくとも救いがまたひとつ。
 

気をつけて!

 投稿者:はこざき@しわ  投稿日:2011年 3月19日(土)08時19分17秒
返信・引用
  一応今言えること:
雪道になる可能性あるので雪対策を。
また、雪が溶けやすい気温にまで上がるのに下がマイナスなので雪より怖い凍結路面になりやすいです。
こちらも春らしくなったとはいえ寒いです。
あっさり上が3下がマイナス6度とかになります。風が出るとすごく寒いです。
言うほどこちらはパニック状態ではありません。
余震もかなり減って沈静化してきた感はあります。
余談は許しませんが、そこまで二次災害を警戒する必要はないと思います。
落ち着いていつも通り行動すればOKです。
安全な旅と親族の無事を祈ります。
 

地震

 投稿者:いずみたけよしメール  投稿日:2011年 3月19日(土)00時45分15秒
返信・引用
  いろいろとご心配をおかけしてます。
親族とも話し合った結果、明日の夜関東を立ち石巻の祖母を迎えに行く事になりました。
幸い緊急車両の認定を受ける事ができたので高速を使って行く事ができます。しかし危険であることはかわりありません。二次災害に会う恐れもあるし、車の使用が渋滞を起こし救援物資の妨げになるかもしれない。
しかし親族としては一週間以上連絡がとれないのは余りにも長いのです。

無事に帰れれば現地の報告を載せたいと思います。
 

田井君ありがとう

 投稿者:山口@しわ  投稿日:2011年 3月18日(金)19時24分53秒
返信・引用
  彼のTwitterの読者です。
彼のふるさとではヨウ素剤が配布されたり、また県外避難で当面の給料が出ないのではないか?といった心配事が起きているそうです。
一緒に山に行った僕らの友人が、原発に生活を一変させられているという現実。
田井君には冷静に、ゆっくりとその現実を伝えて欲しいと思います。

田井君お疲れ様!
むりせずたのむよ!
 

避難民

 投稿者:川内の民@田井  投稿日:2011年 3月18日(金)09時25分17秒
返信・引用
  間伐体験1~3回に参加した田井です
福島の川内村から茨城の牛久市に避難しました
屋内避難になっていた川内村と富岡から避難してきた人はビックパレットへ向かいましたが、収容しきれず新潟方へ向かっている人もいるそうです。

雄さんからここに書き込むよう言われて来ました。
原発周辺で何が起こっていたか知らせるために、Mixiで尾上櫺、ツイッターでtakumatuge3182のユーザー名で現地からの情報をつぶやいているので見れる余裕のある人は見てください
福島県内の情報がほしい方はラジオ福島のツイッターが一番情報量があります。
 

今さっき

 投稿者:山口@しわ  投稿日:2011年 3月14日(月)21時39分38秒
返信・引用
  大船渡市で被災したタケダくんから電話がありました。
「勤め先も向かいにあったガソリンスタンドもみんななくなった」
とつぶやくように話していました。
彼は一旦実家にもどっているそうですが「やることあるから」と、落ち着いたらまた大船渡に行くといっていました。

復興には多くの時間がかかるでしょう。
それでも希望を捨ててはいけない
僕らの時代に起きた危機からの
切実な希求が未来を作ります。きっと。
この混乱と破局的な社会のあり様を俯瞰的にみつめよう。
これからのセカイへまなざしを向けよう。
 

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